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1. 成田山新勝寺
「成田のお不動様」の名で親しまれている新勝寺は、
真言宗智山派の大本山で、関東三大不動のひとつといわれている。
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2.三橋鷹女
女流俳壇の最高峰の一人 田町の生んだ女流俳人 三橋鷹女(みつはしたかじょ)
鷹女は明治32年(1899)年12月24日、成田市田町三橋重郎兵衛の三女として生まれた。
本名は「三橋たか」。明治45年(1912)成田高等女学校に入学。大正5年(1916)卒業後、國學院大學で国文学を専攻していた兄慶次郎をたよって状況する。
慶次郎が師事していた与謝野晶子、若山牧水によって短歌を学び、最初は短歌の道に入ったが、大正12年(1923)東謙三氏と結婚。夫の謙三に俳句の手ほどきを受けて、その後とりこになってしまい、俳句を作り始め、俳号を東文恵として昭和9年(1934)、東鷹女と号した。
昭和17年(1952)、長兄英治が病死。彼の遺言に従い夫と共に三橋姓に復籍する。俳号を三橋鷹女とし、俳人として中央俳壇で活躍するようになり、多くの俳句愛好者から注目されていたという。
昭和27年(1952)、現在の成田公民館の脇にあった生家を鬼澤家に譲り、数え年73歳の生涯を閉じた。鷹女は最後までどこのグループにも属することなく、戦後の俳壇に新風を吹き込んだが、俳句と自己の生きざまについては激しい気迫を持っていた。
それは、句集『羊歯地獄』の自序にみることができる。作品には句集『向日葵』『魚の鰭』『白骨』『羊歯地獄』『?(ぶな)』などがある。
なお、俳人山元健吉は、鷹女を含めた戦後の女流俳人、橋本多佳子、中村汀女、星野立子の4人を"日本の俳壇における4丁(よんてい)"と名付けている。
画像14:三橋鷹女の生家の跡地で、現在は鬼澤家住宅として駐車場になっている。
鷹女が学生時代にここから裏門続きの丘の上にある成田図書館によく通い、読書や作歌に励んでいたと伝えられている。大正5年(1916)成田高等女学校を卒業後、作動や琴の稽古にいそしんだ。紫矢絣の着物に、麻の葉絞りの昼夜帯を締めて町を歩く鷹女の美しい姿や住まいが前と後にあったことなどから、町の人は長谷川「タカ」と「三橋」タカを勘違いして「夢二のオンナ」が通ると噂したといわれている。
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3. 竹久夢二「宵待ち草」のヒロイン・タカの居住跡
「まてど暮らせど来ぬひとを 宵待ち草のやるせなさ こよひは月もでぬさうな」 竹久夢二が恋するタカへの絶ちがたい思いをこめた「宵待ち草」のヒロインとなった長谷川タカは、成田高等女学校に勤務していた姉シマの関係で一家が田町に住んでいた。
(現在、重田家の住宅となっている。) 夢二とタカの出会いは、夢二が明治43年(1910)の夏を銚子の海鹿島で過ごしたときで、同じく避暑にきていた円らな瞳の美しいタカに恋心を抱くようになり、たびたびデートを重ねていたようだ.夏の終わりに夢二に手渡した宵待ち草には深い意味が隠されていたようだ。なお、タカが夢二にあてた書簡には「月の下にそぞろ歩きし真砂路、涼風に相語りし松原、忘れがたうのみ過ごし居候。ことしはおもひもかけず御陰様にてたのしき夏をおくり申し候。・・・(追伸)おひまもおはし候はば御手紙いただき度候。成田町成田十九(現在の田町)長谷川賢子」とあり、二人で過ごした海鹿島での熱い思いがあふれている。夢二が幾度か成田を訪れたことは彼の日記に記されているが、夢二の熱烈な思いは天には届かず、翌年の夏に夢二が再び銚子を訪れたときには既にタカは作曲家の須川政太郎に嫁いで鹿児島へ去っており、タカとの恋ははかないひと夏の夢となってしまった。この思いをこめてつづられた詩が「宵待ち草」である。
田町は叙情詩「宵待ち草」のバックグラウンドでもあり、ヒロインのタカが居住していた地であることを知る人は意外と少ない。
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4. 三橋鷹女の墓
成田高等学校裏門脇の白髪庵の墓地億にある三橋家の墓には、昭和の女流俳人の最高峰を極め「日本の俳壇における4丁」のひとりとして名高い三橋鷹女が静かに眠っている。
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5. 三橋鷹女の句碑
昭和59年(1984)4月に建立された鷹女直筆の色紙を拡大した句が刻まれている。 「鴨翔(かもた)たば われ白髪の嫗(おうな)とならむ 鷹女」とある。
新勝寺参道沿いの市営第2駐車場には、鷹女の等身大ブロンズ像も建てられており、その副碑には鷹女の略歴が刻まれている。
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6. 高浜虚子の句碑
昭和18年(1943)に8代目団蔵により建立されたもので、台石も含めると5mを超す高さがある。句碑の前面には建立に至った経緯などが刻まれている。
虚子は正岡子規に俳句を学んだと伝えられている。
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7. 市川団十郎の碑
市川宗家は屋号を「成田屋」といい、初代の父重蔵は成田市幡谷に住んでいた。以前は台石の上に7代目団十郎と6世団蔵の銅像が置かれていたが、戦時中に供出してしまった。歌舞伎俳優の銅像としては日本最古のものだった。
8. 市川団蔵の碑
明治43年(1910)7世市川団蔵により7代目団十郎と6世団蔵の銅像が建立されたが、こちらも団十郎の碑と同様、戦時中に惜しくも供出させられた。
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9. 小泉岩吉翁の銅像
日露戦争の勝利を成田山に祈願し、同志を募って講を起こしたのが講結成の動機。翁は横須賀戦勝講(旧成田屋真戦勝講)の初代講元で、現内閣総理大臣小泉純一郎の大伯父にあたる。
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10.成田山書道美術館
成田屋真公園の一角、水と木々とが快い調和を生む三の池の畔に建てられている。四季折々の景観を楽しみながら、優れた作品を常時鑑賞できる。
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